きくしおブログ

普段考えてること 気づいたことなんかを書いていきます 自分のためのアウトプットであり、誰かのヒントになればいいな。

依存体質を治すには

自分でいうのもなんだが、私は依存体質である。

依存体質の特徴と言われる

・同じ食べ物を頻繁に食べる

・追い込まれないとやらない

はとっても当てはまる。

一時期は毎日3食フルーツグラノーラだったし、

家を出るときはいつもぎりぎりバタバタ。、帰ると部屋はめちゃくちゃってことは多い。

 

まあそんなことはいいとして、人や職場に依存してしまうのが困りもの。

職場は居場所のような場所になりがちだし、人でも「この人!」と思う人に傾倒して流されがち。

自分が相手を必要としているというより、自分が「必要とされている」という感覚に私は依存している。

 

「ああ、この人(職場)には私がいないとダメなんだ」と感じることが気持ちいいし、楽。

なんか良いことしてる気になれるし、自分が本当に何がしたいのか、何をするべきなのか考えなくていいから。

 

だから永遠に人が足りてない職場とか、拒否しても強引にアタックしてくるような男性に私は引き寄せられる。

そして、人が足りていない職場には何らかの理由があるし、押しの強い人は多くの場合自分本位なだけってことには後で気づく。

それに「必要とされてる」状態がそこにいる理由だから、ちょっとでも「あ、この人(場所)にとって私って代わりの効く存在なのでは?」と感じた瞬間に、急激にやる気がなくなったり、愛が冷めてしまう。

 

それで離れた後、また依存できる何かを探す。

そうやってずっと私は歩んできた。

あーあ。

 

必要としてくれる職場。必要としてくれる人…。

自分が本当にやりたいことではなく、誰かや何かに必要とされる自分であることが「やりがい」になっていた。

 

だけど、ある場所やある人にとって、「代えが効かない存在」なんて論理的にありえない。

それが自分が生み出した場所や人である場合は別として。

ある場所が、その人がいなかったら存在できないなんてありえるだろうか。

愛してくれたあの人は、私がいなければ愛を知らなかっただろうか。

例えば私の親は生まれたのが私じゃなくても、ちゃんと愛していたと思う。

私がこの世に誕生していなくても、きっと何も感じていない。

母親は子供にとって唯一無二だけど、子供は母親にとっての唯一無二ではない。

 

だから、「ここは永遠に君の居場所だよ」とか「君は僕にとってかけがえのない存在だよ」なんてのは、言ってしまえば嘘なんだ。

親とか先生とか、今まで居場所と思える場所を作ってくれた人達はいたけれど、それを作るのが彼らの責任で仕事だっただけで、仕事からはいつか開放されるのだ。

だから上のような言葉に安心しちゃう人は騙されていることになる。

 

私は今のところ、完全に騙されている人なわけだけど、

なんでわかってるのに騙されちゃうのかというと、誰かの「代えが効かない存在」になりたいという強い欲求があるからだ。

 

なぜ、そんなに「代えが効かない存在」だと思「われ」たいのか。

自分が自分を「代えが効かない」と思えていないからだろうか。

あるいは、「代えが効かない」存在でいないといけない という間違った考え方を持っているからだろうか。

 

例えば、自分で自分のことを「代えが効かない存在」と思えるように

唯一無二の事業を起こしたり、

芸術や哲学を創造したり、

科学を前に進めたり、

子供をつくったりしたとして

私は満たされるのだろうか。安心するのだろうか。

 

でもそれって結局「代えが効かない存在」だけが重要で必要であるという価値観を助長しているだけではないか。

ここでは、自分自身が「他者」になって、自分をジャッジしてしまっている。

 

では、どうしてそんな価値観を持ってしまっているのだろうか。

それはきっといつまでも他人や社会、自分の外側に居場所があると思っているからだ。

 

他者の中に居場所を見出そうとする限り、「必要」になろうとするのは仕方のないこと。

私だって誰かと関わるのは、自分にとって相手が必要だからだ。

でもそれは相手の、自分にとっての価値であって、相手の本質的価値ではない。

 

本質的価値は自分が決める。

自分にとって自分は、必要とか必要じゃないとかじゃない。

「居場所」なんだ。

 

身体は「私」の居場所であり、「私」は身体にとってかけがえないもの。

 

だからきっと、一番大切なことは

自分自身と愛し合うこと。

「私」は身体が喜ぶことを、身体は「私」が喜ぶことをしよう。

お互い無理のないように。

お金や食い扶持や本能のために「私」をすり減らしてはいけない。

「私」を重んじすぎるあまり、身体の元気を損なわせてはいけない。

「私」は身体の声を聴き、身体は「私」の声を聴く。

 

おっとっと…

依存体質を治すという話からずいぶん飛んでしまった。

要するに居場所がほしいから、他者に必要と思われることに依存してしまうんだけど

居場所なんて本来、自分の外側にはないもので

自分の居場所は自分の中にしかない。

大事なのは「私」と身体がちゃんと愛し合って

身体が「私」の居場所にちゃんとなってるってこと。

「私」が身体の居場所にちゃんとなってるってこと。

 

何かに依存したくなったら、自分に問いかけよう。

「私」と身体、ちゃんと愛し合ってますか?